「春雨」は江戸時代末期に長崎の丸山遊郭で詠まれたものだそうです。

以来、(花柳界で)端唄として、唄われるようになりました。

また、舞妓さんや芸妓さんが曲に合わせて舞を披露します。その内容は下記のように、遊女が鶯ならば、梅は思いを寄せる男性にたとえた恋歌です。           

♪ はるさめに しつぽりぬるゝ鶯の 羽かぜに匂ふ 梅が香の 花にたはぶれ しほらしや  小鳥でさへも 一すじに         ねぐらさだめる気はひとつ わたしや鶯 ぬしは梅  やがて身まゝ 気まゝになるならば サア鴬宿梅じやないかいな サッさ なんでもよいわいな  ♪       

○「身まゝ気まゝになるならば」とは遊女の年季が明けて自由の身になったらという意味です。

○ 鴬宿梅(おうしゅくばい)とは梅の名木で、香りも姿も格別に素晴らしいものと伝えられています。

ここでは、故事にちなんで、夫婦になれることを唄っているようです。

岩波文庫「江戸端唄集」より

        

鴬宿梅(おうしゅくばい)について

平安時代後期に編纂された歴史物語「大鏡」(作者不詳)の中に鴬宿梅が出てくる。

故事の概要は、村上天皇(950年前後の約20年間在位)が御所の清涼殿の庭に植えられていた梅の木が枯れたので、良い梅の木を探していた。紀貫之の娘(紀内侍 きのないし)の家に良い紅梅の木があると聞き、献上するように言った。

娘は仕方なく紅梅の木に短冊をつけて献上した。短冊には「勅なれば いともかしこし 鶯の宿はと問はば いかが答えむ」(訳:恐れおおくも天皇のご命令ですから、私はこの梅を献上いたしますが、この梅を住処とする鶯がまた今年も飛んできて『わたしのお家はどこ?』と聞いてきたら私は何と答えればよいのでしょう)と書いてあった。

天皇はその風流に感動し、その梅の木を「鴬宿梅」名付けて元に戻したと伝えられています。

※ 画中の屏風の絵は作者が創作したものです。御所の清涼殿と紅梅です。